2012年1月23日月曜日

今日は何の日?



三十三間堂の本尊造立


京都市東山区にある蓮華王院本堂、通称「三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)」


「三十三間堂」の名称は、間面記法による表記「三十三間四面」に由来する。「33」は観音に縁のある数字で、法華経等に観音菩薩が33種の姿に変じて衆生を救うと説かれることによる。

本堂に観音千体を安置したことから、「法住寺殿千体観音堂」と呼ばれる事も

三十三間堂は、1164年(長寛2)、後白河法皇が平清盛に命じて創建されました。

当初は、五重の搭や不動堂などを従えて偉容を誇っていたと伝えられています。

しかし、建長元年(1249年)の火災によって全て焼失しており、現在の本堂は文永3年(1266)に再建さ

れたものです。

「三十三間堂」の名称は、間面記法による表記「三十三間四面」に由来するとされていますが、「33」という数は、観音菩薩の変化身三十三身にもとづく数を表しています。


三十三間堂について次のような伝承があります。


後白河上皇は長年頭痛に悩まされていた。

熊野参詣の折にその旨を祈願すると、熊野権現から「洛陽因幡堂の薬師如来に祈れ」とお告げがあった。

そこで因幡堂に参詣すると、上皇の夢に僧が現れ「上皇の前世は熊野の蓮花坊という僧侶で、仏道

修行の功徳によって天皇に生まれ変わった。

しかし、その蓮華坊の髑髏が岩田川の底に沈んでいて、その目穴から柳が生え

風が吹くと髑髏が動くので上皇の頭が痛むのである」と告げた。

上皇が岩田川(現在の富田川)を調べさせるとお告げの通りであったので、三十三間堂の千手観音の中に髑髏を納め、柳の木を梁に使ったところ、上皇の頭痛は治ったという。

「蓮華王院」という名前は前世の蓮華坊の名から取ったものであるという。

この伝承により「頭痛封じの寺」として崇敬を受けるようになり、「頭痛山平癒寺」と俗称された。



呪い代行・呪いの部屋noroi.com