2012年3月28日水曜日

神仏分離令

今日は何の日?

慶応4年(1868)の3月28日

維新政府は神仏混淆を禁止し、寺院と神社を分離するように命じる神仏分離令(正式には神仏判然令)を出しました。


神仏分離(しんぶつぶんり)は、神仏習合の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させることです
神仏混淆は元々、神道を信仰する一般大衆に仏教を広めるために仏教の末端の伝道師たちが「神様も仏様も実は同じもの」などと言って進めたのが始まりであるともいわれます。
平安時代の末期頃には仏教界と神道界も共存のための妥協を行うようになっていました。

お正月を神道中心にするお祭り

お盆は仏教中心にお祭り

子供が生まれた時は神社にお参りして

人が亡くなった時は坊さんが来てお経をあげる

などといった形で両者は宗教的行事を折半していきます。

春分・秋分もお寺でお彼岸の行事をして神社では社日の行事をします。

しかし、明治維新になって幕府の治世が終わると、維新政府は新しい国には新しい宗教が必要であると考え、新しく国教を定めようとしました。
この時、西洋の国にならって、日本でもキリスト教を国教にしようという意見も出たらしいのですが
多数派を占めるにはいたらず「国家神道」が構築されていくことになります。
そして手始めに、まずお寺と神社を明確に分離しようという意図で出たのが、この神仏判然令なのですが
これは政府の意図を越えて破壊的広がりを見せ、全国的な廃仏毀釈運動を起こしてしまいます。

それまで大きな顔をしていた僧たちに反感を覚えていた民衆が神仏判然令を「寺を廃し仏像は破壊せよ」と拡大解釈して
寺を襲撃し
貴重な仏像が破壊され
或いは海外に流出するという事態が全国各地で生まれ日本全国で大混乱が起きました

明治政府も民衆の過熱に驚き、沈静化を図るために「寺を廃せよなどとは言ってない」という布告を出したりして対応しますが、かなりの時間を要しました。

「国家神道」として政府が欲しかったのは
政府の政策に忠実になってくれる臣民
それをベースにひとつの新たな宗教を創ろうとしたようなものです
別に神社を保護したわけではないので、多様な信仰はむしろ邪魔でした。

政府は「ひとつの村に神社は一つだけにせよ」という布告を出し
更に神社が持っている土地で、直接祭祀に関わりのないものは全て手放すように命じた
このため多くの神社が統廃合され
神社の鳥居が境内からずいぶん離れた場所に建っているという事態が数多く引き起こします。
更には全国の神社に調査官が派遣されて多数の神社で御祭神の書き換えが行われたことがあり
現在では本来の御祭神が何であったのか分からなくなってしまった神社も多くあります。
また国に忠実でないとみなされた宗派は厳しい弾圧を受けたりもしています。


そして、戦後の「宗教の自由」で仏教・神道が本来の宗教としての姿に戻りました




呪い代行・呪いの部屋noroi.com
公式HP http://www.noroi.com/