2012年3月15日木曜日

日光東照宮

今日は何の日?

1961年・昭和36年3月15日

日光東照宮薬師堂が焼失

日光の東照宮境内にある国の重要文化財「薬師堂」が全焼しました。

狩野安信の筆による名高い天井画「鳴竜」も焼失

その後、再建され「鳴竜」も復元されたましたが

火災の原因は電熱器の不始末による失火だったそうです。



日本人のみならず外国人にも親しまれている知名度の高い神社である日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は

江戸幕府初代将軍徳川家康を神格化した東照大権現を祀る神社で

日本全国の東照宮の総本社的存在。元和3年(1617年)の創建。

元和2年(1616年)4月17日、徳川家康が駿府(静岡)で死去すると遺骸は直ちに駿河国の久能山へ葬られ、翌元和3年に下野国日光へ改葬されました。

同年4月に社殿が完成し、朝廷から東照大権現の神号と正一位の位階の追贈を受け、4月8日に奥院廟塔に改葬され、4月17日に遷座祭が行われた。

家康が日光に改葬されたのは、『遺体は久能山におさめ、一周忌が過ぎたら、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神としてまつること。そして、八州の鎮守となろう』という家康本人の遺言によるものでした。

家康が目指した『八州の鎮守』とは、日本全土の平和の守り神であり、家康は、不動の北極星の位置から徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとしたと言われます。

尚、現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって、寛永13年(1636年)に造替されたものです


日光東照宮と陰陽道

日光東照宮は、陰陽道に強い影響を受け、本殿前に設けられた陽明門とその前の鳥居を中心に結んだ上空に北極星が来るように造られているといわれます。

また、その線を真南に行けば江戸へ着くとされ、さらに主要な建物を線で結ぶと北斗七星の配置と寸分違わぬよう設計されているといわれます。

(ウィキペディアより)


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