2012年2月16日木曜日

一休

今日は何の日?


一休宗純が大徳寺の住職となる

アニメ「一休さん」のモデルとなった人物「一休宗純」が大徳寺の住職となった日です(1474)


出生:京都
没地:酬恩庵(京都府京田辺市)
宗旨:臨済宗
宗派:大徳寺派
師:華叟宗曇
著作:『狂雲集』



自由奔放で、奇行が多かったと言われる。以下のような逸話が伝わっています

・印可の証明書や由来ある文書を火中に投じた。

・男色はもとより仏教の戒律で禁じられていた飲酒・肉食や女犯を行い、盲目の森侍者(しんじしゃ)という側女や岐翁紹禎という実子の弟子がいた。

・木刀を鞘に差すなど、風変わりな格好をして街を歩きまわった。これは「鞘に納めていれば豪壮に見えるが、抜いてみれば木刀でしかない」ということで
外面を飾ることにしか興味のない当時の世相を批判したものであったとされる。

・親交のあった本願寺門主蓮如の留守中に居室に上がりこみ、蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をした。
その時に帰宅した蓮如上人は「俺の商売道具に何をする」と言って、ふたりで大笑いしたという。

・正月に杖の頭にドクロをしつらえ、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いた。

こうした一見奇抜な言動は中国臨済宗の僧・普化など唐代の禅者と通じるものがあり、教義の面では禅宗の風狂の精神の表れとされる。
同時に、こうした行動を通して仏教の権威や形骸化を批判・風刺し仏教の伝統化や風化に警鐘を鳴らすものでもあった。

戒律や形式にとらわれない人間臭い生き方は民衆の共感を呼び、江戸時代に彼をモデルとして『一休咄』に代表される頓知咄(とんちばなし)を生み出す元となった。

著書(詩集)は、『狂雲集』『続狂雲集』『自戒集』『骸骨』など。東山文化を代表する人物でもある。

足利義政とその妻日野富子の幕政を批判したことも知られる。




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