藤原清衡が平泉に中尊寺を建立
中尊寺は天台宗の東北大本山です。
創建は嘉祥3年(850)に慈覚大師円仁によって開山されたとされ
その後奥州藤原氏初代の清衡が長治2年(1105)から中尊寺の再建に着手し、天治元年(1124)に金色堂が竣工
基本的な伽藍が完成したのは21年後の大治元年(1126)の時です。
吾妻鏡によると中尊寺の規模は「寺塔四十余宇、禅坊三百余宇」とされ、平泉では毛越寺に次ぐ大きさでした。
当時の平泉は奥州の中心地だけでなく日本の主要都市の1つでもあり、集められたの金銀だけでなく、技術や文化も積極的に取り入れられ、
蝦夷の潜在的な土壌もあり独自な文化が花開きました。
藤原四代の泰衡が当主となると、義経を匿った事で幕府と軋轢が生じ
文治5年(1189)に義経が高館で自刃させられると同年の9月には泰衡が家臣に殺害され藤原氏が滅亡します。
中尊寺は幕府に庇護され、金色堂(国宝)に鞘堂などが築かれますが、徐々衰退し、建武4年(1337)の火災によって多くの堂宇が焼失します。
近世に入ると伊達藩の庇護により、金色堂の改修や白山神社能舞台兼神楽殿などが再建され、東叡山寛永寺の末寺となりました。
中尊寺は現在でも様々な寺宝があり国宝を始め多くの文化財を所有しています。