2014年3月3日月曜日

ひな祭り

今日は「ひな祭り」

その、ひな祭りの歴史を紐解いてみます

ひな祭りの歴史は、平安時代以前にまで遡ります。

日本にはもともと「穢れ(けがれ)」という宗教的な概念があります

※「穢れ」とは、仏教や神道における観念の一つで、不潔・不浄等、清浄ではない汚れて悪しき状態のこと

その穢れを落とすための「禊(みそぎ)」というものが、古代より行われてきました。

現代で「禊」といえば滝行など、川や海で洗い清めることですが

禊に関する記述は、日本最古の歴史書である『古事記』にも見ることができます。

この禊が後にいろいろな習慣と交ざり合い、ひな祭りに発展することになります。

ひな祭りは

最初は季節の変わり目にする水浴び(禊)と宴で構成された厄払いでした。

この習慣は中国から入ってきたものです。

しかし平安時代になると、水浴びによって穢れを払うのではなく

紙や植物で作った人形にその穢れを移して水に流す行事に変わります。

その一方

この頃には、上流階級の女の子たちの間で

紙で作った人形や調度品で遊ぶ「ひいな遊び」という一種のままごとが流行していました。

この「ひいな遊び」と上記の人形を使った禊の行事が交じり合ったものが、後のひな祭りです。

ひな祭りの歴史の始まりは、このようなものであったのです。

女の子の健やかな成長を祈願する「ひな祭り」ですが、「呪い」や「呪術」に通じるものがああったのですね

「厄払い」と捉えれば理解しやすいですね


呪いの部屋noroi.com


2014年3月1日土曜日

福澤諭吉

1882年の今日(3月1日)


福澤諭吉が日刊新聞『時事新報』を創刊

『時事新報』とは

はかつて存在した日本の日刊新聞で、戦前の五大新聞の一つ。

1882年(明治15年)3月1日、福澤諭吉の手により創刊。

その後、慶應義塾大学及びその出身者が全面協力して運営

創刊に当たって

「我日本国の独立を重んじて、畢生の目的、唯国権の一点に在る」

と宣言した。

現在も、株式会社時事新報社として存続している

明治22年2月の紙面

福澤諭吉は1901年(明治34年)2月3日に脳出血により死去

大学の敷地内に住居を構えていたため、慶應義塾大学三田キャンパスに彼の終焉の地を示した石碑が設置されている

戒名は「大観院独立自尊居士」で、麻布山善福寺にその墓がある。

命日の2月3日は雪池忌(ゆきちき)と呼ばれ

塾長以下学生など多くの慶應義塾関係者が墓参する。

昭和52年(1977年)、最初の埋葬地から麻布善福寺へ改葬の際

遺体がミイラ(死蝋)化して残っているのが発見された。

外気と遮断され比較的低温の地下水に浸され続けたために腐敗が進まず保存されたものと推定された。

学術解剖や遺体保存の声もあったが、遺族の強い希望でそのまま荼毘にふされた。