2012年2月28日火曜日

茶人・千利休


今日は何の日?


茶人・千利休の1591(天正19)年の忌日


【死の原因】

天正19年(1591年)、利休は突然秀吉の逆鱗に触れ、堺に蟄居を命じられる。



前田利家や、利休七哲のうち古田織部、細川忠興ら大名である弟子たちが奔走したが助命は適わず

京都に呼び戻された利休は聚楽屋敷内で切腹を命じられる。

享年70。

切腹に際しては、弟子の大名たちが利休奪還を図る恐れがあることから、秀吉の命令を受けた上杉景勝の軍勢が屋敷を取り囲んだと伝えられる。

死後、利休の首は一条戻橋で梟首された。首は賜死の一因ともされる大徳寺三門上の木像に踏ませる形でさらされたという。


その他にも下記のような様々な説があり、明らかにはなっていません。

・安価の茶器類を高額で売り私腹を肥やした(売僧の行い)疑いを持たれた。

・天皇陵の石を勝手に持ち出し手水鉢や庭石などに使った。

・秀吉と茶道に対する考え方で対立した。

・秀吉が利休の娘を妾にと望んだが、「娘のおかげで出世していると思われたくない」と拒否し、秀吉にその事を恨まれた。

・交易を独占しようとした秀吉に対し、堺の権益を守ろうとしたために疎まれた。

・豊臣秀長死後の豊臣政権内の不安定さから来る政治闘争に巻き込まれた


秀吉は蟄居を命じただけで死罪までは企図していなかったが

利休が一切の釈明や謝罪をしなかったために更に怒りに触れ切腹を命じたとする説もあります。



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