2012年2月7日火曜日

仇討ち禁止令(復讐禁止令)

今日は何の日?


明治政府、日本古来の習慣“あだ討ち”を禁止(1873)


仇(あだ)討ち(敵討ち・復讐)とは、主君・親兄弟などを殺した者を、討ち取って恨みを晴らすことで

報復行動の極み(きわみ=物事のきわまるところ)ともいえるが、江戸時代、武士階級で慣習として公認されていた

当時は、人を殺しても番所に届けて「敵討ち」と認められれば罪に問われなかったのですね

そして、1873年2月に司法卿(しほう-きょう)・藤新平が復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第37号)を出したのが

仇討ち禁止の最初の法律である。

この復讐禁止令(仇討ち禁止令)が近代国家の刑法の基礎となり、国や地域社会など公の部分が犯人を裁き処罰するという法律国家的公刑罰権の確立される


復讐禁止令(仇討ち禁止令)制定以前には、女敵討(めがたきうち)という事も公認されていたみたいです

女敵討(めがたきうち)とは、妻が姦通(浮気)した際に姦通相手(浮気相手)と妻を殺害することです

簡単にいうと、浮気した場合は死をも免れない

殺害をもって復讐を遂げる事ができたのです

姦通が表沙汰になった際の女敵討は武士にとっては義務であったとあります

「義務」というのが凄いですが

浮気や不倫は、それだけ重罪だった事が見受けられます


この法律が現在も存続していた場合、今の日本は無いと思いますが

「呪い」や「呪術」の必要性も少なかったのかも知れませんね




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